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短歌作法(71)  若山牧水著  歌についての感想(71)

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3月19日(火)
短歌作法(71)
(注)原文は正字であるが、適宜に当用漢字等を使用した。
 
若山牧水著
発行所:成光館
 
発行日:昭和六年十二月一日
 
歌についての感想(71)
 
加藤東籬集を読む(9)
 
 然し、彼は右云った一本調子の歌を作らうとして――イヤ、彼の考へてゐるまゝの
歌を何の気なしにひよいひよいと詠み出づる事のあまりに無関心なために遺憾なく
彼の歌の欠点を暴露して居る。あまりに無頓着なあまりに自由な(といふよりはあま
りに疎漏な無知な)ためにその作られた歌は易々として平板単調な、一本調子な、
内容空疎な、ただごと歌に堕して行つてゐるのである。集中よりその例をひくべくい
ま余りにむごたらしいのを感ぜざるを得ないまでにさうであるのである。折角出来た
この第一歌集を手にしたわれ等友人どもを何とも云へぬ失望の淵に沈ましめたのも
謂わば一に其処から来てゐるのである。然り、彼はあまりに歌に対して無知であつ
た。あまりに軽々と取り扱ひすぎた。
 
若山牧水歌集(岩波文庫)より(32)
 
(注)原文は正字であるが、適宜に当用漢字等を使用した。
 
路上(明治四十四年九月)(8)
 
 
六月中旬、甲州の山奥なる某温泉に遊ぶ、当時の歌二十二首の内
たひらなる武蔵(むさし)の国のふちにある夏の山辺に汽車の近づく
絲に似て白く尽きざる路の見ゆむかひの山の夕風のなか
辻々に山のせまりて甲斐のくに甲府の町は寂し夏の日
初夏の雲のなかなる山の国甲斐の畑に麦刈る子等よ
遠山のうすむらさきの山の裾雲より出でて麦の穂に消ゆ
山々のせまりしあひに流れたる河といふものの寂しくあるかな
大河の岸のほとりの砂(いさご)めく身のさびしさに思ひいたりぬ
(つづく)
 

白浜短歌会三月歌会歌稿(三月十八日)についての感想 NO.1

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白浜短歌会三月歌会歌稿(三月十八日)についての感想(1)    後藤人徳
 
A子さん:
 
ひな祭りきれいに並らぶひなの前子供と歌うひな祭りの歌
 
予言する南海地震にわれ恐怖命杖 ( つえ )を便りて(に)身構え確保
 
1.「ひな祭り」「ひなの前」「ひな祭りの歌」、くり返し「ひな」の字を使ってい
 
ます。それだけひな祭りの感激を表しているのかもしれません。あるいは、
 
最近の傾向として、昔ながらの行事がおろそかになっている。雛祭りを、昔
 
のように子供たちがあまり興味をもたないのかもしれません。そうした世の
 
中の傾向のなかで、作者はひな祭りを大切にしているのかもしれません。
 
参考はそうした世の中の傾向を歌ってみました。
 
 参考:雛壇にきれいにならぶひなの前一人うたえりひな祭りの歌
 
2.「恐怖」といい、「身構え確保」と硬い言葉が使われています。それが、作者
 
の真実の気持なのでしょう。「便り」は、「頼り」でしょう。
 
 参考:予知される南海地震恐れつつ命の杖を握り身構う
 
B子さん:
 
花粉症マスクの下の鼻緩みそれでも桜愛でつ楽しむ
 
桜道なんとペットの多い事花より犬の服が気(春)になり
 
1.この歌は作者のある精神性みたいなものを歌っているように感じました。体調を多
 
少犠牲にしても、桜を愛でたい、楽しみたいそういう精神性のようなものです。「花粉
 
症マスクの下の鼻緩み」は多少説明的のように思います。歌は伝えるのではなく伝
 
わることが大切ではないでしょうか。「愛でる」と「楽しむ」は多少ダブっているように思
 
いますが。
 
 参考:花粉症の鼻の緩みにめげないで桜の花を愛でつつ歩む 
 
(河津桜か)
 
2.作者の目線に注目しました。目線が下に向いているのです。あるいは、桜が
 
満開ではなかったのでしょうか。そうしてみると、「犬の服が気になる」よりも、
 
「花より犬の服が春なり」のほうが良いのではないでしょうか。
 
 参考:桜道なんとペットが多いこと花より犬の服が春なり  (伊豆高原か)
       
C子さん:
 
就職の内定もらい卒業の ( はかま )の予約に孫娘 ( まご )は帰省する
 
ふるさとに帰つてみたいと被災者はくやしいですよと声をつまらす
 
(しず)よりも ( どう )なるわれも老いたれどまだまだ元気と畑に精出す
 
1.「袴」のルビはいらないと思います。普通「はかま」としか読みませんから。こ
 
の歌の内容についてわれわれは注意しなければならないことがあると思いま
 
す。一首のなかで就職の内定のことと卒業のことと二つのことを言おうとしてい
 
るように私には思えます。特に「就職の内定もらい」が自慢のようにも受け取ら
 
れかねないのです。あるいは、「袴の予約」までも必要なのか。参考はわたしな
 
りの参考です。それは、就職と卒業の両方を喜ぶ気持を表したつもりです。
 
参考:就職の採用内定もらいたる孫の娘が卒業をする
 
2.これはよいと思います。被害者の言葉は「」にくくった方がいいと思います。
 
参考:「ふるさとに帰ってみたい」と被害者は「くやしいですよ」と声をつまらす
 
3.「静」は「せい」、「 ( せい ) ( どう )」と普通の読みかただと思います。「しず」と読むなにか
 
理由がありますか。「われも」でなく、「われは」ではないですか。
 
参考:静よりも動なるわれは老いたれどまだまだ元気と畑に精出す
 
   :動くこと好きなるわれは元気だと言いてついつい畑に向かう
 
 D子さん:
 
採血の結果 気になる 診察日 夫の帰りを 案じ 待ちおる
 
温くき風 感じつ雛に 供えんと 磯場ぐるぐる 磯もの探す
 
1. 一字開けが気になりました。短歌は文字の間を開けないのが原則です。例
 
外はありますが、まず字を開けないで作ってください。自分の気持を文字だけで
 
表現しようとするのは無理がありますし、説明になって余韻がなくなります。「気
 
になる」「案じる」というのは伝えるのでなく伝わるようにしないといけないでしょ
 
う。
 
参考:採血の結果の分る診察日夫の帰りを恐れ待ちいる
 
2.前作と同じく、一字開けが気になりました。短歌は調べを大切にしますので、
 
ぷつりぷつりと区切るのは本道ではありません。「温くき風」が全体のこの歌に
 
大切なのかどうか。「感じつ」は、「温くき風」にすでに感じていることは出ていな
 
いでしょうか。この歌の中心はなにか、何を歌いたいのか。「温くき風」なのか、
 
「雛」なのか、「磯場」「磯もの」なのか。
 
参考:雛壇に供えんものを探さんと温き磯場をぐるぐる巡る
 
 
 E子さん:
 
人の世に大きく開くすごき花柴田トヨさん白き笑顔で
 
何処へ行くあてはなけれど心地よき心うきうきおしゃれにしたる
 
1.柴田トヨさん、九十歳になって詩を作り始め、九十九歳で出版した『くじけな
 
いで』はベストセラーとなった。作者は、あるいは尊敬、あるいは憧れをもって柴
 
田トヨさんを「人の世に大きく開くすごき花」と表現しています。いま、写真かある
 
いはテレビの出演場面を見ておられるのでしょうか。「白き笑顔」が印象的で
 
す。わたしの参考は、多少角度を変えているかもしれません。
 
参考:人の世に大きく開く花となる柴田トヨさん白寿の笑顔
 
2.やっと春めいたことにたいする喜びがよく出ていると思います。「おしゃれに
 
したる」が良いと思いました。特に「に」に特色を感じました。「おしゃれをしたる」
 
でなく「おしゃれにしたる」です。助詞ひとつの違いですが、よく作者の今の心境
 
を語っているように思いました。
 
                      
F子さん:
 
秋刀魚鮨作る嫁女の手捌きを見ているだけの不器用な ( しゅうとめ )
 
父母の忌にはらから五人揃いたる皆老いたれど幼顔残れり(残る)
 
返信のなき友の安否気にかゝるそれぞれ老いの ( よわい )なりせば
 
 
1.お嫁さんをこういう形で褒めるのもなかなか良いのではないでしょうか。ご自
 
分を第三者的に「姑」としている方法もありますが、「われ(我)」とストレートに言
 
ってもいいと思います。自分のマイナスイメージを表現する時は、わたしは、む
 
しろストレートに表現するようにしています。自分にプラスとなるようなときは第
 
三者的にぼかす、そんな使いわけをしています。参考は、単なる参考です。原
 
作のほうが迫力があると思います。
 
参考:秋刀魚鮨作る嫁女の手捌きをほれぼれとしてわれは見ている
 
2.内容はよろしいのではないかと思います。「揃いたる」とすると連体形で皆に
 
付きます。「はらから五人揃いたる皆老いたれど」と長くなりすぎるように私は思
 
います。「揃いたり」と終止形にして、ここで息ぬきをして、「皆老いたれど」とした
 
らどうでしょうか。結句の「残れり」は「残る」の連用形に完了、継続の助動詞
 
「り」が付いて「残った」となっています。ここは「残る」でいいのではないでしょう
 
か。
 
参考:父母の忌にはらから五人揃いたり皆老いたれど幼顔残る
      
3.「返信のなき友」といい、「安否」といい、「気にかかる」といい、「老いの齢」と
 
マイナス的な言葉を多く使っています。作者自身が今体調を崩しておられるよう
 
に聞いています。それが、こういう歌に表われているのかもしれません。参考
 
は、あくまでも参考です。
 
参考:返信のなき同級の友のこと気にかかりつつ病(やまい)に伏せり
 
                                

白浜短歌会三月歌会歌稿(三月十八日)感想(2)  後藤人徳

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白浜短歌会三月歌会歌稿感想(三月十八日)(2)  後藤人徳
 
                                 
                                  
G子さん:
 
幼き頃「早く走れる靴はないのかな!」といった孫走者となりてたすきを渡す
 
居ながらに旅すいるもよし日曜の朝のテレビの自然百景
 
1.  破調(字あまり)の歌です。それは言葉を大切にした結果どうしても切れない、縮
 
められない作者の気持が伝わります。ですから、一概にいけないとは言えないし、許
 
されていることです。お孫さんの成長にたいする感激の歌だとおもいます。「幼き頃」
 
は、カッコのことばのなかに表われているので省くこともできるかもしれません。参考
 
はわたしなりの参考です。「言いし」の「し」は過去の回想の助動詞です。
 
 
参考:「早く走る靴ないかな!」と言いし孫いまさっそうとたすきを渡す
 
2.  よいと思います。参考は、「旅するもよし」という言葉を変えてみました。自分に言
 
い聞かせている、その味わいは良いと思います。ちょっと負け惜しみな気分も出てい
 
るということです。それはそれでいいと思います。
   
 
   参考:居ながらに旅する気分日曜日朝のテレビの『自然百景』
  
 
 
           同期会             原 明男
 
同期会にあれやこれやと詮索し自分の元気を確かめてみる
 
湯の宿にマイク片手の十八番高原列車に昭和が勢む(弾む)
 
    1.「自分の元気を確かめてみる」が良いと思います。「元気を確かめて
 
みる」という表現が新鮮です。そして、「確かめる」ではなく、「確かめてみる」。
 
この「みる」がたいへん微妙な味わいをだしているように思います。なにか、恐
 
る恐るといった気持があったでしょうか。「自分の元気は本物だろうか、同年
 
のみんなはどんな風だろうか」、そういった気持がそこにあらわれているよう
 
に思いました。
   
 
2.結句は「弾む」でどうでしょうか。「昭和が弾む」という表現がなかなか新鮮
 
です。また、「高原列車に昭和が弾む」という下の句がたいへんよいと思いまし
 
た。高原列車にカッコを付けたい気分もありますが、それですと歌だけの、歌
 
詞だけの高原列車になるような気がします。カッコをつけないので、あたかも高
 
原列車が目の前にあって、それに乗っている気分も味わえるような気がしまし
 
た。
 
 
 (完結)

後藤人徳の今日の短歌  3月20日(水)

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今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌
 
「人徳の部屋」より
 
3月20日(水)
 
松崎の西郷頼母の足跡よ依田勉三を輩出させる
 
敗れたる会津藩士よ志芽吹きぬ伊豆の松崎の地に
 
今月は年度末なり障害者福祉の会の決算をする
 
ぎりぎりの金のやり繰りどうにかに福祉会決算黒字に終える
 
栃飛龍が勝ちたることを確かめて幕内力士の観戦をする
 

 

今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より  伝道の妨害 

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今日の聖句:「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より
 
原文は文語調、人徳の口語訳および意訳の個所もあり。
 
3月20日(水)
 
伝道の妨害

伝道を妨害するものは、異端でも無教会主義でもありません。伝道
 
の障害は、債務を負う事であり、束縛される事であり、人に対して
 
遠慮する事です。これらの事があると、いかに純粋に福音を懐いて
 
いても、人のこころを根底から救うことは出来ません。自由は伝道
 
において第一に必要とされるものです。これさえあれば、少しくら
 
いの異端など問題になりません。もし自由がないなら、正しい教え
 
も聖職も人を真の伝道者にする事は出来ないでしょう。
 
一日一生(内村鑑三)
 
3月20日(水)

死者の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
 
卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによ
 
みがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだが
 
あるのだから、霊のからだもあるわけである。(コリント第一書十五・四十二~四十
 
四)
 
復活を迷信というのは祈祷を迷信というのと同一で、畢竟(ひっきょう)その何たるを
 
解しないからであります。キリスト教の教うる復活なるものは、この肉体が肉体のま
 
まで甦(よみが)えると申すのではございません。復活の真意は更正でありまして、
 
生命がさらに肉体に加えらるることであります。われたは死してふたたびこの世に帰
 
らんことを望む者ではございません。われらは死してさらに新しき生命を与えられ、
 
新しき世界にいこうと願うのであります。
 
「矢内原忠雄の今日の言葉」
 
あぶくま無教会ホームページ(現在閉鎖)『日々のかて』よりの転載です。

3 月 20 日(水)
 
エチオピア人はその皮膚の色を変えることが出来るでしょうか。チータはそのはん点
 
を変えることが出来るでしょうか。もし、それができるなら悪に染まっているあなたた
 
ちも善を行うことができます。
 
 
性格
 
 人の性格は後天的であるよりもむしろ先天的なことの方が多いです。境遇と教育
 
によって多少性格を改善することが出来ますが、それよりもさらに、環境や教育によ
 
ってはどうにもならない自己の性格の弱さ、みにくさ、ゆがみに泣く思いをしない人は
 
ないでしょう。人の性格には原罪が付着して、人をむしばんでいるのです。
 
 性格はいかに矯正(きょうせい)しようとしても、それで直るものではありません。そ
 
れはキリストを信じて罪の赦しを受けることによって、はじめて自然に直ってくるので
 
す。しかしそれでも肉体にあって生きている間は、決して完全に生来の性格を矯正
 
することは出来ません。それは復活の日において完全にいやされるのです。
 
 自分の性格を宿命的と思って嘆くには及びません。いかにゆがんだ性格でも罪の
 
赦しを信じる信仰の結果として自然と矯正されます。同時にまた、自分の性格を矯
 
正しようとして苦しむこともなくなります。自分で苦しんだところで、性格は矯正されま
 
せん。自分の力で自分をよくしようとあせっても、その結果はあせりと不安と絶望の
 
みです。
 
 自己の性格にあいそをつかして泣く人は、キリストを仰ぎ、信仰をもって神に目を
 
そそぐべきです。罪の赦しの信仰こそ性格矯正の能力です。なぜなら、性格のゆが
 
みは原罪的病状だからです。
 

短歌用語辞典  ふ(32)  ふみ

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3月20日(水)
 
短歌用語辞典
 
飯塚書店発行:(1993年)
 
ふ(32)
 
ふみ
 
文・書(名詞)書きしるしたもの。書物。
 
庭の枇杷赤らみにけり末の子がかくややにととのひ来けり  佐佐木信綱
 
隣室によむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり     島木赤彦
 
冬はかくしづけきものか友としも机のうへの古人(ふるひと)の 吉植庄
 
 
寒きまで秋晴れしかば庭に出てつもりつもりし殻を焼く   富小路禎子
 
日に一度午後二時半に開けられるポストに合わせて書き終えぬ 俵 万智
 
(つづく)
 

昭和萬葉集(巻四)(47)(昭和十二年~十四年の作品 )  Ⅰ(47)

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3月20日(水)
 
昭和萬葉集(巻四)(47)(昭和十二年~十四年の作品
 
講談社発行(昭和55年)
 
Ⅰ(47)
 
宣戦なき戦い(18)
 
戦場にて(4)
 
菰淵正雄
 
敵兵の残して逃げし南瓜飯(かぼちやめし)湯気たつままを飯盒につめぬ
 
永井 隆
 
敵兵が粟くひのこし逃げゆきし鍋を洗ひて夕炊(かし)ぎすも
 
岩崎雁夫
 
ひたすらに戦つづけ夕飯は戦死せる友の缶詰を食ふ
 
富山清治
 
昨夜遅く飯を焚きしはこの水か痛くにごれる朝のクリーク
 
(つづく)
 

 

日本の詩歌「俳句集」 (345)  星野立子(2)

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3月20日(水)
日本の詩歌「俳句集」 (345)
 昭和45年1月発行 中央公論社
星野立子(2)
風に揺るゝげんげの花の畦(あぜ)づたひ
釈迦堂の春日の塀を牛車
近づけば大きな木瓜(ぼけ)の花となる
蝌蚪(くわと)一つ鼻杭(くひ)にあて休みをり
種俵緋鯉の水につけてあり
 
(つづく)
 

歌集「神田川」(202)  青山星三著  1996(平成八年)年(40)

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3月20日()
歌集「神田川」(202)
青山星三著(注:著者は医師)
発行所:短歌新聞社 1997年6月15日発行
1996(平成八年)年(40)
秋ふかむ(2)
巨人軍優勝の日にふるき巨人キラー荒木大輔引退したり
春巻かリゾットかオリイブ油に揚ぐる匂ひは花好きの夫人宅らし
地衣黄枯れにしづむ木下を過ぎこしが死の前触れの躓きもなく
神田川畔(べ)の女郎花絶え十(と)年がほど奴凧塗りの店も亡びぬ
友禅流しに努めゐし朋党(ともがら)美しき染業会館ビルを建てたり
たのしみて病にそばへ苑の段に団栗ふみしだくこよひ脚つよく
晩餐の栗飯をよろこび天の命順ひゆかな十七夜月
 
(つづく)
 

短歌作法(72)  若山牧水著  歌についての感想(72)

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3月20日()
 
短歌作法(72)
若山牧水著
(注)原文は正字であるが、適宜に当用漢字等を使用した。
 
発行所:成光館
 
発行日:昭和六年十二月一日
 
歌についての感想(72)
 
 加藤東籬集を読む(10)
 
いま少し言ふ。
 
それは単に「言葉」や「表現法」の問題のみでなく、今少しつき込んで「彼
 
そのもの」の何処にかまだまだお疎末なところがあつたが故であらねばなら
 
ぬ。彼の感情が、彼の思想が、彼の生きかたが、生命に対する彼の態度や知
 
識が、それを「歌」に盛らうとする彼の態度や手際が、薄つぺらであつたか
 
らであつたのだ。
 
 彼は決して世に謂ふおつちよこちよいではない。それこそ、毛ほどもそん
 
な所はない。唯だ、少しいゝ気な所がある。自己に対して安易過ぎる。何か
 
を感じながら、感じ詰め様とせずにたゞふわふわと浮かんでながれつヽ、而
 
かもそれに我流な色をつけ、匂ひを添へ様とする様な所がある。進んで徹せ
 
ず、退いてまた徹しない。それに、ものを深く考へ様とせぬ彼の幣は案外に
 
世の悪影響などをも知らず知らずのうちに深く受け入れてゐる、イザ歌ふと
 
いふ段になつて無闇に最上級の形容詞や副詞を使つて大上段に振りかぶりな
 
がらいかにも誇張した云ひかたをする。内容の影のうすい所へもつて来て徒
 
らに恐ろしい大きな言葉――単に言葉といはず不消化極る身振り手振りの表
 
現法を行当りばつたりに使ふ為に、その作物をば実に眼もあてられぬ滑稽
 
な、安つぽい悲惨なものにしてしまつてゐる。引例の要はない、随所のペー
 
ジを披いて見よ、それの眼につかぬ所は殆ど絶無と云つていゝだらう。
 
 
 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
若山牧水歌集(岩波文庫)より(33)
 
(注)原文は正字であるが、適宜に当用漢字等を使用した。
 
路上(明治四十四年四月九月)(9)
 
山越えて入りし古駅(こえき)の霧のおくに電燈の見ゆ人の声きこゆ
わが対(むか)ふあを高山の峯越しにけふもゆたかに白雲の湧く
木の葉みな風にそよぎて裏がへる青山を人の行けるさびしさ
しらじらととほき麓をながれたる小川ながめて夕山を越ゆ
青巌のかげのしぶきに濡れながら啼ける河鹿を見出でしさびしさ
泣きながら桑の実を摘み食(た)うべつつ母を呼ぶ子を夕畑に見つ
酸くあまき甲斐の村々の酒を飲み富士のふもとの山越えありく
(つづく)
 

日本の詩歌「俳句集」 (345)  星野立子(3)

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3月21日(木)
日本の詩歌「俳句集」 (345)
 昭和45年1月発行 中央公論社
星野立子(3)
降りしきる松葉に日傘かざしけり
杉落葉雨流れたる跡のあり
電車いまますしぐらなり桐の花
麦刈や汽車早ければ刈り進む
広々と紙の如しや白菖蒲(しろしやうぶ)
夏の朝病児によべの灯を消しぬ
(つづく)
 

歌集「神田川」(208) 青山星三著  秋ふかむ(3)

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3月21日()
歌集「神田川」(208)
青山星三著(注:著者は医師)
発行所:短歌新聞社 1997年6月15日発行
秋ふかむ(3)
己が絵をひとり笑ひするゆとりなく内在くらし冬づく風鈴
カニサボテン咲かせむ暗箱つくりあげあはれ久しぶりに「皇帝」の曲
ノボタンの花の紫冴ゆるころ痒みも出血斑もぶりかへしけり
すすきの穂あまねくひらきわがこのむトパーズ色ぞ雨にかはらず
おそらくは来む年かぎりの余生かと鮟鱇鍋にしみじみむかふ
いのちたたへ啼く鳩きこゆハープ弾(ひ)きハープ教へし君も移りぬ
妻の最低血圧やうやく安定ししづかにエグモントきくべくなりぬ
 
 (つづく)

短歌作法(73)  若山牧水著  歌についての感想(73)

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3月21日()
 
短歌作法(73)
(注)原文は正字であるが、適宜に当用漢字等を使用した。
 
若山牧水著
発行所:成光館
 
発行日:昭和六年十二月一日
 
歌についての感想(73)
 
加藤東籬集を読む(11)
 
 斯うした事などが、親しく彼を知らぬ人にいかにも彼を安つぽく見せはせぬかとま
で気遣はるヽのである。今更ながら「歌」のすがたと「人」のすがたの離し難い微妙な
約束を思はずには居られない。
 
 さういふ危険はあるがそれが成功すれば右に引いた如き自然な、豊かな熱を持つ
て極めて主観味の勝つたものとなる。それと共に彼の作に多いのは退いて静かのも
のを観る様な、ひそかにひぞかにわれとわが心に親しまうとする様な寂しいものごし
の歌である。寧ろこの方に彼の佳作は多いかも知れぬ。
 
心なき草木に身をやたぐふべき山の櫻の下にまろべば
心よく死を思ひたる暁の如くに人のなつかしきかな
地の上に春の夕の煙たつ樹のかたはらにねて身を思ふ
ゆく春の風につらなりほろほろと鴿(いへばと)の啼く胸の痛さよ
心深うわが住みなれし青桐の葉の散りそめし家に鶏(とり)啼く
定かにも秋の虫なく眼の前の青き林のはつ秋の風
野森の香背戸の畑に漂へり夕月の頃飢ゑて帰れば
春浅き林のくまに立つ時のわがもの足らぬ目に雁の見ゆ
おのづから言葉少なになりにけり山に櫻の咲ける頃ほひ
呼びとめて語らふ人もなかりけり道の柳の花ちるゆふべ
藁砧木枯の音みなわれに親しみ深くなれるこのごろ
野の畑に青油菜はみのりたりわが語り得ぬさびしき心
 
(つづく)
若山牧水歌集(岩波文庫)より(34)
 
(注)原文は正字であるが、適宜に当用漢字等を使用した。
 
路上(明治四十四年九月)(10)
 
       *
めづらかに明るき心さしきたりたまゆらにして消えゆきしかな
夏の夜やここら少女のひとりだにわがものならぬかなしみをする
わだつみのそこのごとくにこころ凪ぐ樅の大樹(おほき)にむかふ夕ぐれ
この瞳しばしを酒に離れなばもとの清さに澄みやかへらむ
あかつきの寝覚の床をひたしたるさびしさのそこに眼をひらくなり
あはれまたねむりたまふかたまたまに逢ふ夜はわきて短きものを
なげやりのあまきつかれにうち浸り生きて甲斐あるけふを讃へむ
 (つづく)
 

後藤人徳の今日の短歌  3月22日(金)

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 今日の気持ちを短歌に:後藤人徳の今日の短歌
 
「人徳の部屋」より
 
3月22日(金)
 
いっぱいに梅の実が付く遅霜に会わず大きく育ちておくれ
 
何回もチェックしたのにエクセルの式の誤りチェック漏れなり
 
年度末各種会計を任されておればさすがに気持が焦る
 
施設での評議委員会思うことぶちまけたればしおれて帰る
 
栃飛龍今日勝ちたればあと一歩あと一勝で勝ち越しとなる
 
 
 

「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より   神とともに歩む

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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より
http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm
 
原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。
 
3月22日(金)
 
神とともに歩む

「歩む」ということは、「静かに歩む」という意味です。飛ぶ事で
 
はありません、走る事でもありません、文字通り歩むことです。雄
 
飛というような、疾走というような、絶叫というようなことをなさ
 
ないで、忍耐強く神を頼り、その命にしたがって静かに日々を送る
 
ことなのです。あえて大事業をしようとはせず、大伝道を試みるよ
 
うなこともせず、また大奇跡を行おうともしない事です。ただ神の
 
命を重んじ、み言葉に従い、神を信ずる事だけが務めと信じ、何も
 
しないような生涯を送る事です。信仰の生涯と言うのは、大部分忍
 
耐です、静粛です、待望です、神とともにあって満足する事です。
 
たとえ神から何も受ける事が無くても、自分自身を頂いたことで満
 
足し、他になにも要求しない生涯なのです。
 
一日一生(内村鑑三)
 
3月22日(金)
 
わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。
 
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
 
今や義の冠(かんむり)がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審
 
判者である主が、それを授けて下さるであろう。(テモテ第二書四・六~八)
 
 
信者は神の僕(しもべ)である。主人より特殊の要務をゆだねられたる者である。ゆ
 
えにかれはこの要務をはたすまでは死すべきでない。しかして彼はその時までは決
 
して死なないのである。リビングストンのいいし「われらは天職をおわるまでは不滅な
 
るがごとし」との言は信者の確信である。彼にはなほ天職の完成せざるものがあれ
 
ば、彼は死なないのである。されども彼が、もしすでにはたすべきの事をはたしおわ
 
りしならば、彼は死ぬるのである。彼は長寿の祈求(ねがい)をもって神にせまりて
 
はならない。すでに用なき者はこの世にながらえるの必要はないのである。「何ぞい
 
たずらに地をふさがんや」である(ルカ伝十三・七)。僕は主人の用をはたせばそれ
 
で去ってよいのである。彼は心にいうべきである、わらは長く生きんことを欲せず、
 
わらはただわが主の用をなさんと欲する。

「矢内原忠雄の今日の言葉」
 
3月22日(金)
 
春三月
 
私の愛する人の天に召されたのは
 
春三月のうららかな日でした。
 
その日、にわかに黒雲がわき起こって、
 
孤独の私をつつんでしまいました。
 
悔恨(かいこん)と悲痛がわきあふれて、
 
抑える力がありませんでした。
 
しかし黒雲がやや薄れて、あわいかなしみの霧となり、
 
その水滴(すいてき)の幕のかなたに、
 
春の陽のかがやく時が来ました。
 
私の愛する人の墓は、天国の入口に立ちます。
 
そこからハシゴが天に直通し、
 
御使いたちが昇り降りしました。
 
父なる神の教えを私にもたらし、
 
私の祈りを父にたずさえ上るのです。
 
墓の彼方に光る陽は、その光をその方に投げ、
 
重き荷を負ってこの世を歩む、
 
私の足もとを照らします。 ・・・ 
 
私の愛する人の墓に、柳の木を植えましょう。
 
秋風がさらさらと吹けば葉ははかなく空に飛びますが、
 
春三月の日を受ければ、青い葉は羽衣のように、
 
私の霊(たましい)を飛翔(ひしょう)させて、
 
愛する人の国にみちびき、
 
復活の希望に息づかせます。 ・・・ 
 
私の愛する人の召されたのは、
 
私を力強く生きらせるためでした。
 
私の心はこの世にありません、
 
しかし、私の足はこの世を歩みます。
 
復活の希望は私の心を高くし、
 
復活の希望は私の足を軽くします。
 
復活の希望はイエスの墓に芽生え、
 
私の愛する人の墓に花咲き、私の墓に実るでしょう。
 
 

短歌用語辞典(飯塚書店発行) ふ(33)   ふゆ

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3月22日(金)
 
短歌用語辞典(飯塚書店発行)
 
ふ(33) 
 
ふゆ
 
(名詞)冬至から春分まで。旧暦は立冬から立春まで。最も寒い季節。
 
説を替(か)へまた説をかふたのしさのかぎりも知らにに入りゆく 岡井
 
 
くれなゐをの力として堪へし寒椿みな花をはりたり     馬場あき子
 
空は胸に灼きつけりわれもまた過ぎし戦ひの兵士の一人    玉城 徹
 
(つづく)

昭和萬葉集(巻四)(49)(昭和二年~十四年の作品) 宣戦のなき戦い(20) 

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3月22日(金)
 
昭和萬葉集(巻四)(49)(昭和二年~十四年の作品)
 
講談社行(昭和55年)
 
 
宣戦のなき戦い(20)
 
夜戦(2)
 
瓜生鉄雄
 
各兵に今宵の覚悟言ひふくめ雨ふる壕につかしめにけり
 
幾通かの手紙は焼きてポケットに子供の写真深くをさめつ
 
恐しき衝迫も一瞬にしてその後は何も覚えず吾が躍り出づ
 
江田 宏
 
岩肌は匍(は)ひてわたれと闇のなかに叱咤(しつた)の声がひくくひろが
 
 
美弥国樹
 
敵近く闇に心は配りつつ稲ふみ分くる音秘めがたし
 
棚橋順一
 
ぬばたまの闇の曠野を走りゆく兵は互に声呼ばひつつ
 
斎藤秋村
 
闇中に火光(ほかげ)の見えしたまゆらや頭上をひくく弾一つ過ぐ
 
(つづく)

日本の詩歌「俳句集」 (346)  星野立子(4)

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3月22日(金)
日本の詩歌「俳句集」 (346)
 昭和45年1月発行 中央公論社
星野立子(4)
午後の日に十薬(じふやく)花を向けにけり
夕日いま高き実梅に当たるなり
舟べりに藺(ゐ)の花抜いてかけにけり
札幌の放送局や羽蟻の夜
山百合の見ゆるほどなる山遠さ
(つづく)
 

歌集「神田川」(209)  青山星三著  1996年(平成八年)(42)

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3月22日()
歌集「神田川」(209)
青山星三著(注:著者は医師)
発行所:短歌新聞社 1997年6月15日発行
1996年(平成八年)(42)
秋ふかむ(4)
わが怒りやすくなりしならず徳義観峻烈に変りこし病みこらへつつ
何年ぶりにみるミズスマシ吻(くち)合はせ相聞(そうもん)しをり神の夕池に
丁寧に骨を梳きしサンマに辛口(からくち)の大根おろしかけて夕餉(がれひ)
瀬は瀬をよび遡る鯉は鯉をよぶ鴨来るまへの秋神田川
泉わく音消ちさわぐ鴉のこゑカラスは秋末にも発情期もつ
六價クロームの濃厚汚染三たびながら数年後には四たびならむといふ
精細な綿密な診療の臨床を践(ふ)まざるドクターは棺桶屋のみ
(つづく)

短歌作法(74)  若山牧水著  歌についての感想(74)

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3月22日(金)
短歌作法(74)
若山牧水著
(注)原文は正字であるが、適宜に当用漢字等を使用した。
 
発行所:成光館
 
発行日:昭和六年十二月一日
 
歌についての感想(74)
 
加藤東籬集を読む(12)
 
笑はざる父の顔より逃れむと蛾をとりにきぬ青田の畔に
帰り来れば秋風の吹く古家に誰も居らざりき子等もをらざりき
革の帯うすら冷くなりにけり秋風の家に兎を飼へば
この九月畑の豆を盗まれて腹立たしきに畑の虫鳴く
父が手に畑の南瓜はとり去られ跡に静かにこほろぎの鳴く
わが家の飯焚く煙ほそぼそとわが落葉掻く身をめぐるなり
秋餅をつき一騒ぎして裏畑に出づれば昼の陽は黄いろなり
この夜の深きにまたも風おこり落葉の村の昼の如き月
木枯の風の寂しさ萱刈りて雪がこひする霜月の朝
わが馬もわが橇もみな音を立て静かなる林の道を行くなり
雪を掬ひて手を洗ひけりさて仰ぎ冬の夜の村の小さき月見る
(つづく)
若山牧水歌集(岩波文庫)より(35)
 
(注)原文は正字であるが、適宜に当用漢字等を使用した。
 
路上(明治四十四年九月)(11)
 
九月初めより十一月半ばまで信濃国浅間山の麓に遊べり
 
名も知らぬ山のふもと辺(べ)過ぎむとし秋草のはなを摘みめぐるかな
 
秋風や松の林の出はづれに青アカシヤの実が吹かれ居る
 
なにごとも思ふべきなし秋風の黄なる山辺に胡桃(くるみ)をあさる
 
胡桃とりつかれて草に寝てあれば赤とんぼ等が来てものをいふ
 
かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな
 
白玉(しらたま)の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
 
あはれ見よまたもこころはくるしみをのがれむとして歌にあまゆる
 
残りなくおのが命を投げかけて来し旅なれば障(さは)りあらすな
 
 
(つづく)
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