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Channel: 日々の気持ちを短歌に
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原 昇遺歌集 「人生行路」(新星書房)より(49)  生きて

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8月19日(火)
原 昇遺歌集
 
「人生行路」(新星書房)より(49)
 
発行者:後藤瑞義
 
 平成元年~六年
 
生きて
 
わが母の故郷の海眺めつつ難民の家に食ぶビルマ料理
 
わが母の故郷に住む難民のミャミャウイ母に似たるも
 
ビルマに残しし娘らをいふ時に難民女性の顔のくもりつ
 
えにしなりスーチー女史の写真背に難民主婦とならび撮られし
 
 
(つづく)
 

日本の詩歌29短歌集(48)  尾上柴舟(8)

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8月19日(火)
 
日本の詩歌29短歌集(48)
 
中公文庫:1976年11月10日
 
尾上柴舟(8)
   
をかしきは大人(うし)より長くわが生きてまたもつどひの日にあへること
 
思ふどちすくなく住みて貝食(は)みしその日いかにか楽しかりけむ
 
事好むいたづら心昨日(きのふ)まで持ちしわれとはおもほえなくに
 
ゆれやみて思へば事のあらざりし昨日の日こそ尊かりけれ
 
これや人黄色く黒く群がりて潮(しほ)のまにまに上り来(きた)るは
 
群がりて黄黒(きぐろ)き中にくれなゐの裳裾(もすそ)ほの見ゆ女なるらし
 
(以上『朝ぐもり』より)
 
(つづく)

短歌表現辞典(天地・季節編)(13)  八月・季節(13) りっしゅう(立秋)(1)

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8月19日(火)
 
短歌表現辞典(天地・季節編)(13)
 
1998年2月10日発行:飯塚書店
 
八月・季節(13)
 
りっしゅう(立秋)(1)
 
八月八日ごろが立秋に当り、暦の上では秋に入るが、暑さはまだまだ厳しい。しか
 
し身辺に秋へ向かう気配がどことなく感じられる。秋立つ。秋来(く)る。秋となる。秋
 
に入(い)る。秋至る。
 
端渓(たんけい)の硯の魚眼(ぎよがん)すがしくて立秋はいま水のごとあり  北原
 
白秋
 
秋立つは水にかも似る/洗はれて/思ひことごと新しくなる        石川啄木
 
秋立ちてすべなく暑き日の中にいちびの花もをさまりてゆく         土屋文明
 
献身のごとくたつ幹をいきいきと晩夏(ばんか)の蟻はのぼりゆきたり  岡部桂一
 
 
秋となれば部屋と部屋とを胡桃(くるみ)の実のごとく区切りて誰も孤(ひと)り棲む 
 
真鍋美恵子
 
麻痺の夫と目の見えぬ老女(はは)を左右に置きわが老年の秋に入りゆく 斎藤 
 
 
(つづく)
 

八月号歌評下書き(1)(同人誌「賀茂短歌」より)  後藤瑞義

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八月号歌評下書き(1)           後藤瑞義
 
(同人誌「賀茂短歌」より)
 
原 明男
 
一病を余生の友となしてより他人が他人に見えなくなりぬ
 
 作者は腎臓をひとつ摘出されました。「一病を余生の友となしてより」という上の句を読
 
みそのことを思ったのです。それとともに、「一病息災」などということわざも思い浮かんだ
 
のでした。作者は治療に専念している病気があります、そしてそれは自分の生命をも脅か
 
しかねないものです。しかし作者は、その病気を敵とするのではなく、むしろ友のように付
 
き合って行こうと決心したのでしょう。自分にとってもっとも好ましくないものを友としたと
 
き、「他人が他人に見えなくなりぬ」という心境が自然に湧いてきたのでしょう。また、この
 
「他人」という言葉ですが、もちろん文字通りに受け取ってさすつかえないと思いますが、
 
あるいはもっと広い意味として受け取ってもいいのではないかと思います。一病からの発
 
想としての「他人」でありますから、他人は人だけのことではないかもしれません。つまり
 
作者のいう「他人」というのは、いままでなんらの関心もなく、見向きもしなかったもろもろ
 
のこと、もろもろの物、あるいは作者に害を与えるようなもの、あるいは事がら、たとえば、
 
雑草であったり、名の知らぬ小鳥であったり、台風であったり、地震であったり、いろいろ
 
考えられるような気がします。そして、それは、「禍転じて福となす」といった、一病を得た
 
お蔭でいままで見えなかったものが見えるようになったという喜びの歌のようにも感じた
 
のです。
 
 
渡辺つぎ
 
なつかしいわが家へ帰る心地してみくらの里の門内に入る
 
 「なつかしきわが家」、わが家に「なつかしき」としていることにまず注目しました。
 
過去のことをふりかえるときわたしたちは、「なつかしい」という言葉を使います。「な
 
つかしきわが家」とは、どういうことでしょうか。今住んでいらっしゃるご自宅ではない
 
でしょう。想像されるのは、ご結婚する前の、生家のことかもしれません。
 
 作者は、満百三歳六ヶ月になられます。「みくらの里」というのは、介護施設で作者
 
はときどき利用されているようです。たとえば五日くらい宿泊を伴って利用されてい
 
るようです。介護施設の利用について、よく聞く話は、利用するご当人がかたくなに
 
利用を拒否される話です。それにひきかえこの作者は、なんということでしょうか。
 
「なつかしいわが家へ帰る心地して」と歌っています。これは、どういう意味でしょう
 
か。文字通りの意味にとってもちろんいいんですが、正直なところは…。なにか、こ
 
の歌の底には、言葉には、ちょっと表現できないのですが、それは、表現できないの
 
は私の力不足だからですが…。愛といいますか、…母性愛といいますか、なにか深
 
い、ふかいものを感じるのです。もちろん、介護施設の職員がほんとうによくしてくれ
 
て、まるで自分の生家に帰ったような、子供時代にかにかえったような心地良さを与
 
えてくれる、そのように解するのが正しい解釈なのだと思うのですが…。なにか、一
 
緒に生活をされていられるご家族に対するなにか心配りのようなものをわたしは感
 
じたのです。
 
 
鈴木菊江
 
天気図は夏日なれども雷雲の迫りて雹の注意報あり
 
 「天気図は夏日なれども」、セ氏二十五度以上の日を夏日といいます、テレビの天
 
気予報で天気図が出て、今日は夏日となりますというようなことだったのでしょうか。
 
それが、にわかに雷雲、つまり積乱雲がおこって、雹が降るかもしれませんから注
 
意してくださいというような報道に変化したのでしょう。わたし自身は経験がありませ
 
んが、わりとよくあることのようです。最近の異常気象、作者は確か満九十六歳とお
 
聞きしています、そのようなご高齢でありながら、常に身近の事象に敏感な方なの
 
だと感じます。そういう生活態度がやはり若さを保つ秘訣でしょうか。と同時にこの
 
歌は単に天気のことだけを歌っているのではないかもしれません。事実を事実とし
 
て、感情語を使ったりせずにまとめられているとかえっていろいろ想像をかきたてら
 
れます。世の中は測りがたい出来事が起きる、常に心して生きなければならないと
 
自らをいましめられている歌のようにも感じるのです。
 
 
                                 黒田幸子
 
充分に水分とつてクーラーもつけてと指示し息は帰りゆく
 
 この歌も、事実をそのまま歌っています。息子さんが、熱中症などにならないよう
 
にと気を配っていることが読み取れます。「充分に水分とつてクーラーもつけてと指
 
示し」、この「指示し」という言葉に、わたしなどは息子の立場で少し反省したりしまし
 
た。この歌のよさは、くり返しになりますが、事実を事実のまま、なんの飾りもしない
 
で表現していることだと思います。作り物ではないということです、事実、真実な歌だ
 
ということです。そこには、飾りのない真実なものが表現されています。そこで、「指
 
示し」という言葉、「帰りゆく」という言葉がみょうに生々しい感じがしたのです。特に
 
「帰りゆく」という言葉がなんともせつなく感じたのでした。ここがお前の家なんだよ、
 
ここで生活しておくれと言えない現実がかなしいのです。
 
(つづく)
 

八月号歌評下書き(2)         後藤瑞義

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八月号歌評下書き(2)                   後藤瑞義
 
(同人誌「賀茂短歌」より)
                             
                              後藤早苗
 
大雨で畑に行けず三日して行けば胡瓜がごろごろ取れる
 
これも、そのままの歌です。大雨がふって畑に三日間行けなかったようです。そして、
 
やっと雨がやんで行ってみたら胡瓜がたくさんなっていた。この歌のよさはやはり事実
 
をありのままに歌っているらしいことでしょう。そうしたなかから、雨と作物との関係とい
 
うか、作物にとって雨がいかに必要かといったことなども垣間見られるのです。それか
 
ら、なんといっても「ごろごろ」という言葉だと思います。これは、完全に作者独自の感性
 
からの言葉なのだと思います。「いっぱい」でもなく「たくさん」でもなく「ごろごろ取れる」
 
のです。ここにある種の感動をおぼえます。
 
 
                             藤井美智子
 
ひとり孫「おじいちゃんによろしく」と声も聞こえて便りに結ぶ
 
お孫さんが一人いらっしゃるのでしょう。それが、「ひとり孫」という言葉
 
となったのでしょう。「おじいちゃんによろしく」とカッコをつけてあると
 
ころをみますと、これは実際の話言葉だったのでしょう。「声も聞こえて」
 
の「も」がちょっと気になります。「声が聞こえて」ならすっと意味が通じ
 
るのですが、この「も」がなかなか難解です。最近思うのですが、歌はなる
 
べく単純平明、そのままがいいと思うのです。難解な歌は、その謎解きに読
 
者の精力が注がれて、とても余韻を楽しむまでに至らないうらみがありま
 
す。前に出ていました、大雨の胡瓜の歌にしても、その前の「充分に水分と
 
つてクーラーもつけてと指示し息は帰りゆく」にしても、なにも難解なとこ
 
ろがありません、ですから余韻を味わう余裕が出て来るのだと思うのです。
 
 
 さて、この歌は、亡くなられたご主人のことを、たった一人しかいない、
 
かわいいお孫さんが、まだ生きているかのように「おじいちゃんによろし
 
く」と言ってくれた、それが無性にうれしかった、といったことでしょう
 
か。作者を知っておるわたしの解釈です。
 
 この歌を、この歌のみを初めて読んだこととして解釈を試みます。「ひと
 
り孫」も「おじいちゃんによろしく」も「と声も聞こえて」も分ります。
 
「便りに結ぶ」が少し難解です。多分、作者は娘さんか息子さんかと電話を
 
しているとします。そして、じゃあ「切るね」と言われた。そのとき、ひと
 
り孫さんが、「おじいちゃんによろしく」と近くで叫んだ。これが、「声も
 
聞こえて」ということではないだろうか。そして、その言葉が電話の最後の
 
結びともなった…。余韻というか、作者の心をなごませるものとなった、と
 
いったことを想像します。
 
 それにしましても、やはり「声も聞こえて」の「も」が気になります。
 
「声」のほかに何かがあって、「声も」でしょうか。また、「便りに結ぶ」
 
の便りは、普通は、というか、わたしなどは、手紙を連想するのですが。こ
 
の場合は、「声」がでてきますので、電話のようにおもうのです。そして、
 
最後の「便りに結ぶ」の「に」がよく分らないのです。「便りを結ぶ」と
 
「を」ならよくわかるのですが。
 
 歌を分らせようとしない、分らせる努力をしないのは、逆に言えば、ただ
 
しく自分の気持を伝えようとしているともいえると思います。
 
 
 この歌の難解さは、作者の複雑な心もちにあるかもしれません。作者の思
 
いの深さ、思いの多さに短歌が負けているのかもしれません。
 
 
 
 鈴木きみ
 
人の子も日本の子供と言う母はしかる時こそだれかれ分けず
 
この歌は、内容的にはよいところを掴んでいると思います。お母さんの人となりが
 
浮かんできます。問題はやはり文法的なことになると思います。ひとつは、「人の
 
子も日本の子供と言う」の「言う」です。これは現代形ですから過去形にしなけれ
 
ばならないと思います。もっとも、過去の事を現在形で歌うこともありえますし、
 
この歌を思い出というより今、現在のこととして歌うことも、出来るでしょう。も
 
うひとつは、係り結びの「こそ」を使っている点です。こそを使った場合は已然形
 
で終るとなっています。「ず」の已然形は「ね」です、それとも「ざれ」です。文
 
語の文法のむずかしさがここにあります。解決作としましては、文法どおりにする
 
ことはもちろん第一ですが、ここだけ口語にする、「分けない」とする方法もある
 
でしょう。
 
 表現は、なるべく平明で簡潔なほうがいいと思います。そのままを歌うことをお
 
すすめします。文法を注意して参考例をあげておきます。
 
参考1.人の子も日本の子供と言いし(過去の回想の助動詞)母叱る時にはだれか
 
れ分けず
 
参考2.人の子も日本の子供𠮟るときだれかれ区別せざりし(過去の回想の助動詞)
 
母は
 
参考3.人の子も日本の子供と言いし(過去の回想の助動詞)母叱る時にはだれかれ分
 
けず
 
 
土屋文恵
 
凛として真夏の畑に花咲かす蚊帳吊草の息吹たくまし
 
「凛として」というのは、もちろん「真夏の畑に花咲かす」蚊帳吊草の姿のことで
 
しょう。ここにも作者のある感性のようなものが働いていると思います。雑草で
 
あっても決しておろそかにはしないといった作者の姿勢が「凛として」というよう
 
な表現を得たのではないでしょうか。「真夏の畑に花咲かす」というのも、ひとつ
 
の風景が浮かびます。「息吹たくまし」は蚊帳吊草の雑草魂に感じ入っているので
 
しょう。
 
 眼前の雑草を単に歌っているようにも思えますが、作者の心の中の思いのような
 
ものをあるいは歌っているかもしれません。こうあってほしい、こうありたいとい
 
うような思いが、凛として真夏の畑に咲く、たくましい蚊帳吊草に、ある理想的な
 
姿を思い浮かべているのかもしれません。
 
 

後藤人徳の短歌(119)  平成13年の歌のまとめ(3)

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後藤人徳の短歌(119)
 
同人誌「賀茂短歌」より
 
8月20日(水)
 
           平成13年の歌のまとめ(3)
 
溝さらい(1)
 
電脳の処女航海をなさむとす青き画面の前に座りて
 
刺殺さる学童の死は見えれども生き延びし子のこころ見えざり
 
飽食の世に育ちきて七人の学童刺殺したる犯人
 
閉したる心の闇の深ければキリストの愛は輝き増さん
 
溝さらいの泥を積みたるトラックの滴したたる光となりて
 
 

「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より   宗教また宗教

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7月20日(水)
 
「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より
http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm
 
原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。
 
宗教また宗教

ここに、ひとつの宗教があります。そちらに、またひとつの宗教がありま
 
す。例えば、古典をもてあそぶような宗教があるとおもえば、儀式にばかり
 
こだわる宗教があります。交際をひろめるための宗教であったり、宗教家を
 
批判するだけの宗教があります。また、愛国、愛国と叫ぶ政治活動のような
 
宗教があります。今言ったような宗教は、わたしが求める宗教ではありませ
 
ん。キリストのように自らの血を犠牲にして、ロマ書十四章17節のように
 
「義と平和と聖霊による歓喜」を得るような宗教こそわたしが求める宗教で
 
す。これは、虚の宗教に対して実の宗教と言えます。道楽的宗教に対して実
 
践的宗教です。儀式文章的宗教に対して心霊的宗教です。批評的宗教に対し
 
て自省的宗教です。交際的宗教に対して黙祷的宗教です。しかしながら、今
 
言ったようなすべての宗教をさして、一般的に宗教と呼んでいます。しか
 
し、その大部分の宗教は誉め貴ぶことの出来る宗教とは呼べないのです。
 
 
 

昭和萬葉集(巻五)(168)(昭和十五年~十六年の作品)  Ⅲ(16)

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8月20日(水)     
 
昭和萬葉集(巻五)(168)(昭和十五年~十六年の作品)
 
講談社発行(昭和55年)
 
Ⅲ(16)
 
はてなき戦線(16)
 
戦闘(1)
 
遠藤達一
 
敵機銃陣地六十米(メートル)前の岩洞(がんどう)に乾パンを食ひ一日
 
(ひとひ)堪へゐし
 
今中五逸
 
敵陣の銃眼が見ゆ雪晴れの堤につづきさだかにも見ゆ
 
斎藤充実
 
弾薬の箱打ちくだき傷つきし兵にも背負はせ山逼(は)ひ登る
 
宮 柊二
 
茎も葉も弾丸(たま)に折らるる草莢(くさむら)にあなしろじろと陽
 
(ひ)が当るかな
 
匍匐して敵に寄りゆく時だにも記憶あれば断(き)れつつ掠(かす)るごと
 
浮かぶ
 
秋霧を赤く裂きつつ敵手榴弾落ちつぐ中にわれは死ぬべし
 
装甲車に肉薄(にくはく)し来(きた)る敵兵の叫びの中に若き声あり
 
(つづき)
 

原 昇遺歌集  「人生行路」(新星書房)(50)  花また花

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8月20日(水)
原 昇遺歌集
 
「人生行路」(新星書房)(50)
 
発行者:後藤瑞義
 
平成元年~六年
 
花また花
 
鶏口となれと集へる歌の子に言ひし唇のさむさ知るまじ
 
嫁ぐ娘のハワイ土産の花の種まかむ弥生はいよよ来むかふ
 
底上げの作歌に励むおろかしさ歌は人なり人が歌なり
 
風邪をひく暇なしと応へ鍬ふりし夕は鼻をすすりもあへず
 
鹿の遠音吹きすさびたる過去世もつ友われにありありと今知る
 
孫娘の結納の酒うれしくも寂しくもありうつつのこの瞬
 
 
(つづく)
 

日本の詩歌29短歌集(49)   尾上柴舟(9)

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8月20日(水)
日本の詩歌29短歌集(49) 
 
中公文庫:1976年11月10日発行
 
尾上柴舟(9)
 
快く砂糖の角(かど)の溶(とけ)てゆく紅茶を見つゝものはおもはず
 
鋭(と)くも立つ岩の穂尖(ほさき)に霧しろき朝(あした)の空は縦に裂(さ)けたり
 
此の国の油の煮物うまければ主人(あるじ)も妻も肥(こ)えましにけむ
 
(以上『行きつゝ歌ひつゝ』より)
 
薄寒み炉ばた親しきかたらひも絶やさぬほどの春の夜の地震(なゐ)
 
仰ぎ寝て聞くらむ君がわれのごと思はるる夜の松風の音
 
きさらぎの風吹く岡に妻とわがつばらかに拾ふ父の骨はも
 
 
 
(つづく)

短歌表現辞典(天地・季節編)(14)  八月・季節(14)  りっしゅう(立秋)(2)

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8月20日(水)
 
短歌表現辞典(天地・季節編)(14)
 
1998年2月10日発行:飯塚書店
 
八月・季節(14)
 
りっしゅう(立秋)(2)
 
八月八日ごろが立秋に当り、暦の上では秋に入るが、暑さはまだまだ厳しい。しか
 
し身辺に秋へ向かう気配がどことなく感じられる。秋立つ。秋来(く)る。秋となる。秋
 
に入(い)る。秋至る。
 
秋立ちしこころゆらぎにをさな子の昼の眠(ねむり)を見下(みおろ)して立つ 宮 柊
 
 
秋となる光さしきてベランダに置ける木の椅子あたらしく見ゆ       佐佐木由幾
 
道をゆくあの人もこの人も淋しくて立秋の顔陽にさらしをり          原田汀子
 
(「普羅の忌」は俳人前田普羅の忌日の八月八日)
 
普羅の忌の秋立つあした世に通ふ径草刈りて盆近うせり          中井正義
 
水引草の紅こまやかに立秋の光集めてみゆるこの坂           尾崎左永子
 
里芋の汁あつくして父と吸ふ夜目にふるるもの皆秋となる         馬場あき子
 
(つづく)
 

昭和萬葉集(巻五)(180)(昭和十五年~十六年の作品 ) Ⅲ(17)

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8月22日(金)
 
昭和萬葉集(巻五)(180)(昭和十五年~十六年の作品
 
講談社発行(昭和55年)
 
Ⅲ(17)
 
はてなき戦線(17)
 
戦闘(3)
 
城 俊輔
 
砲音の絶えてしまらくありてより血に染みし担架数多(たんかあまた)入り
 
来ぬ
 
清水政福
 
追撃砲唸りて過ぐる壕ぬちに残り乏(とも)しき弾丸(たま)数へをり
 
初鹿野 誠
 
にぎりゐて暖かくなれる手榴弾そのまま交代兵に渡すも
 
近藤俊光
 
手榴弾皆投げつくし今は早(はや)石ころ投げて敵と戦ふ
 
香坂桂吾
 
包囲陣せばめられつつ手榴弾一人一個を握りしめたり
 
弾丸つきて今は一つの覚悟のみ剣の油をふきて時機待つ
 
竹内六郎
 
射ちつづけ弾(たま)の尽きたる一時(ひととき)を茫然とをり草むらの中
 
 
(つづく)
 

原 昇遺歌集  「人生行路」(新星書房)(52)  此岸

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8月22日(金)
原 昇遺歌集
 
「人生行路」(新星書房)(52)
 
発行者:後藤瑞義
 
 平成元年~六年
 
此岸
      
蒲焼はなけれ土用の涼風に青磁の皿の白桃かほる
遠き日の彩に鬼灯うれたれど帰れる稚ら弄ばざり
吾に作歌六十年はなになりし短夜めざめて思惟仏となる
月てれる笛吹川を目にうかべ房の葡萄は生き仏はむ
冷夏といへど紅唇ひらき立つ海の女神のキツネノカミソリ
(つづく)
             

日本の詩歌29(51) 中公文庫  短歌集(51)   尾上柴舟(11)

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8月22日(金)
日本の詩歌29(51)
 
中公文庫:1976年11月10日発行
 
短歌集(51)
 
   尾上柴舟(11)
   
更(ふ)くる夜を家にも入らずすずみ人今日の地震を語るこゑする
 
トーキーの筋のすこしく分る頃冷(ひえ)こそのぼれ靴(くつ)の底より
 
笑(え)まひつつありはしつれど父もまたいはばいふべき事ありにけむ
 
(以上『間歩集』より)
 
寂しとや一つ親牛風来たる海に向ひて長鳴きにけり
 
昨日(きのふ)とし異ならぬこと今日(けふ)もして今年(ことし)われまた生くべかるら
 
 
(つづく)

短歌表現辞典(天地・季節編)(16)  八月・季節(16) ざんしょ(残暑)(1) 

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短歌表現辞典(天地・季節編)(16)
 
1998年2月10日発行:飯塚書店
 
八月・季節(16)
 
ざんしょ(残暑)(1)
 
立秋を過ぎてから九月中旬までの暑さである。夏の暑さに耐えて、やっと涼しさを覚
 
えた身にとり、さらにつづく日中の暑さはつらいものである。秋暑し。残る暑さ。暑
 
秋。
 
香川進の歌は一九四五年敗戦時の作。蒔田さくら子の歌の「一夏(いちげ)
 
の果て」は、ひと夏の終り。
 
秋暑き秋寒き日交錯しあたま呆けしは自らが知る        吉田正俊
 
幼子をもつゆゑにころすわが怒り白き残暑のひかりの中に    木俣 修
 
わが部屋にあまねく及ぶ秋暑あり心しづかにて居るところなし 佐藤佐太郎
 
野葡萄の実の成る沢を越えゆきて秋の日暑き峡に入るべし    扇畑忠雄
 
はびこれる杜鵑草(ほととぎす)そこらうら枯れぬ留守長かりし日本の残暑
 
 宮 英子
 
振り返り塩ともならぬ世を生きて秋暑ひそかに身の哀へや    安永蕗子
 
(つづく)
 

後藤人徳の短歌(102) ニューヨーク貿易センタービルの崩壊

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後藤人徳の短歌(102)
 
同人誌「賀茂短歌」平成13年より
 
8月23日(土)
平成13年の歌のまとめ(5) 
 ニューヨーク貿易センタービルの崩壊
 「危ない!!」旅客機一機が高層のビル壁面に体当りする
 高層のビル壁面に激突の旅客機一機入(い)り自爆する
 地上には彼岸花咲き高層のビル一瞬に崩れ落ちたり
 高層のビル一瞬に崩ししはハイジャックされし旅客機一機
 飛行機をハイジャックしてテロリスト乗客数多(あまた)とともに自爆す
 美(うつく)しと一瞬よぎりニューヨーク貿易センタービルの崩壊 
コスモスの葉先に散れる幾千の露よ高層ビルの崩壊
 

「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より  「平民と平信者」

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「内村鑑三所感集」(岩波文庫)より
http://www.izu.co.jp/~jintoku/utimura10.htm
 
原文は文語調、後藤人徳の口語訳および意訳の個所もあり。
 
8月23日(土)
 
「平民と平信者」
 
わたしは、貴族ではありません、たんなる平民です。わたしは特別に天皇陛下に寵
 
愛されようとは思いません、ただ忠実な一臣民として統治されることを希望します。
 
それと同じように、わたしはキリストの使徒でもなければまた法王、監督でもありま
 
せん。そうです、世間で称するところの牧師伝道師でもありません。わたしは単なる
 
平信者です。わたしは特別人より以上に神に愛されようとは思いません。わたしは、
 
ただ万民を公平に愛し給う神のその愛でもって愛されたいのです。わたしは、社交
 
界で華々しく暮らす貴族になりたいとは思いません、また信仰でも僧侶、神官、祭
 
司、教職などにもなりたいと思いません。わたしは、国民として、平民として、キリスト
 
信者としては単なる平(ひら)の信者として一生をまっとうしたいと思うのです。
 
 

昭和萬葉集(巻五)(177)(昭和十五年~十六年の作品) Ⅲ(18)  

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8月23日(土)
 
昭和萬葉集(巻五)(177)(昭和十五年~十六年の作品)
 
講談社行(昭和55年)
 
Ⅲ(18)                          
 
はてなき戦線(18)
 
敵弾
 
伊藤桂一
 
円匙(ゑんび)の音をひそめて壕(がう)を掘れどたちまちにして迫る弾丸
 
あり
 
砲列を河原に敷きてひねもすを弾丸は黄河をさはやかに越ゆ
 
林 霞舟
 
城壁を越えくる夜半(よは)の弾(たま)の音兵等は部署につきてひそけし
 
新野佳重
 
砲弾のかすめて過ぎし桃の枝にいのちひそかなり巣を作る蜂
 
永沼与助
 
目の前の白壁の右の繁(しげ)みよりチェッコ銃は火をふきはじむ
 
前田善雄
 
朱(あけ)に染む戦友(とも)をば見つつすべはなし集中弾に伏して進めり
 
 
(つづく)
 

原 昇遺歌集  「人生行路」(新星書房)(53)  生きつつ

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8月23日(土)
原 昇遺歌集
 
「人生行路」(新星書房)(53)
 
発行者:後藤瑞義
 
平成元年~六年 
    
生きつつ
 
夢殿集なれる身いたはり白秋が妻と浴みけむ越の湯ぞこは
 
子を乗せて柴積み車を父(とと)が曳く白秋の歌湯沢人知るや
 
モンペにまじり衣ぬぎ越の湯浴みせる歌を晶子はこの宿にせし
 
その昔の文豪浴みし越のこの湯舟に無為の痩身しづます
 
 
(つづき)
 

日本の詩歌29短歌集(52)  中公文庫  尾上柴舟(12)

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8月23日(土)
日本の詩歌29短歌集(52)
 
中公文庫:1976年11月10日発行
 
尾上柴舟(12)
 
失せがたき一つ鋭心(とごころ)ゆふべゆふべ経擲(なげう)ちて人は来にけむ
 
漕(こ)ぎめぐり「ありやせこりやせ」と櫂操(かいと)る子月の下びに十四人なる
 
君に見せ君に聞かせむ事あまたあるをめざめぬきみをいかにせむ
 
なすべきを皆なしたりと萩(はぎ)の家(や)の大人(うし)の御前(みまへ)に君申すら
 
 
雲の散る谷間谷間に見え来るや田畑家寺人道電車
 
影及ぶ川添道(かはぞひみち)を語り行きをりをりにして月を仰ぎつ
 
乱るるは湖(うみ)の朝霧あさ風の大虎杖(おほいたどり)の葉を鳴らすまま
 
(つづく)
 
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