鑑賞:歌集「悲しき玩具」(二十三)(下書き) 後藤瑞義
(注)歌の順序は歌集の順序によります。
曠野(あらの)ゆく汽車のごとくに、
このなやみ、
ときどき我の心を通る。
「曠野(あらの)」:自然のままに荒れた野、辞書にはそのように書かれています。
啄木は一年余り北海道を、函館、札幌、小樽、釧路と転々とした経歴があります。
その北海道の広大な原野のイメージが私にはします。そのような広大な「原野を
走る汽車のようだ」といっています。時代は明治です、明治時代の汽車が、どんな
イメージだったのでしょうか。明治に入って西洋文明がどっと日本に入って来まし
た。汽車はその象徴的なものではないでしょうか。なにもない荒野をさっそうと走
る汽車、これぞ文明の粋(すい)といえるでしょう。
その荒野を(さっそうと)走る汽車が、「このなやみ、」というのです。それでは、「この
なやみ」とはどんな悩みなのでしょうか。啄木には、啄木に限ったことではないので
すが、色々な悩みがあったのでしょう。「このなやみ」、「あのなやみ」、「そのなやみ」
…、色々ある悩みのなかの「このなやみ」なのです。それでは、具体的に「このなや
み、」とはどんな悩みなのでしょうか。貧困に悩んだ啄木、家庭内の不和に悩んだ啄
木、色々な悩みを持った啄木でした。その中で、「この悩み」は汽車のようだと言って
いるのです、それも何もない荒野を走る汽車、西洋文明の象徴のような汽車…。西
洋文明に対する悩み、西洋文明に対する劣等感、科学的なものに対する劣等感、
そんな風に解してはどうなんでしょうか。それは、科学や機械文明というだけでなく、
たとえば分析的に考える、科学的な思考方法、そんなものが全く欠けていたと意識
した明治時代の青年啄木ではなかったか、そんな気がします。
西洋文明に対する劣等感、科学的分析的な思考に対する劣等感がときどき心を
よぎるということではなかったか。汽車イコール西洋文明、科学的思考とすると、曠
野イコール啄木の心、ということになります。
曠野のように何もないわが心よ、そこに汽車のようにさっそうと西洋文明、西洋の
科学的思考が通りすぎて行く…、こんな感じでしょうか。
悩みというとすぐマイナスイメージを思い浮かべます。そこで、曠野のような心こそ
が悩みのイメージだとわたしなどは思うのですが、「なやみ」が逆にさっそうと曠野を
走る汽車のようだというこの発想の逆転に啄木の複雑な心境を感じるのです。
啄木が一般的な短歌の表記方法である一行書きを廃し、かたくなに三行書きにし
た、分けることにこだわった。このこだわりにこそ、わたしは、啄木の西洋の科学的
分析的思考に対する劣等意識を感じるのです。
曠野(あらの)ゆく汽車のごとくに、
このなやみ、
ときどき我の心を通る。