白浜短歌会8月分歌評下書き
A子さん
肌寒く重ね着すれば汗にじむ着替えに戸惑う初夏の朝時
里芋葉夜露を受けてころころと風にゆられて葉はすべり台
1.そうでした、朝方は少し寒く昼は夏日ということがよくありました。今日も、どうなん
だろうかと、朝戸惑っているのでしょう。この敏感さは貴重だと思います。「初夏の朝
時」と期間を入れるというか、一般化するというか、そこは注意したいと思います。常
に短歌は今この一瞬の思いを歌いたいものです。
参考:朝寒く重ね着すれば汗にじむ着替えに戸惑う今日も夏日か
2.これもよく分る歌です。里芋の葉のうえに落ちた露をまるで子供を見るように見て
いる作者のまなざしがやさしく感じます。「里芋葉」は「芋の葉」でいいのではないで
しょうか。短歌は平明・簡潔(やさしい表現)がよいといいます。たとえば、「里芋葉」
「夜露」「受けて」など細かい表現ですが、一考を要するように思いました。
参考:芋の葉はすべり台なりころころと子供のように露すべりゆく
草刈り B子さん
方向がわからぬほどに草を取りふと見上げると花おくら咲く
汗だくで畑仕事に夢中なり芋のつる先草の中なる
1. 「方向がわからぬほどに草を取り」という表現はなかなか特殊なたとえです。下を
向いて草取りに夢中だったのでしょう。なんのきなしに顔を上げるとそこにオクラの花
が咲いていた。まるでご苦労さまとでもいうように…。と同時にあるいは、しみじみオ
クラの花を見た作者でしょうか、案外きれいな花なんだなあと思いながら…。単純な
うたですので、想像がかえってひろがるように思います。参考は、あくまでも勝手な想
像です。
参考:方向がわからぬほどに草を取り見上げる空に花おくら咲く
2.「畑仕事」とは具体的に何をしていたのでしょうか。前の作品は草取りだったので
すが。これも草取りだったでしょうか。汗だくで草取りに夢中になって芋のつるの先が
草の中にあったのを切ってしまったか取ってしまったか。私の勝手な想像ですが、
「芋のつる先草の中なる」というところに何か思いがこもっているのでしょうが、ちょっ
と分りません。「中なる」の「なる」についてちょっと気になります。文語「なる」は「なり」
の連体形です。ですから、「なり」(終止形)で終わりたいものです。文語と口語でよく
混同される「する」があります。「する」は口語の終止形ですが、文語ですと「す」となり
ます。口語の「する」の「る」で終止する形が、あるいは、文語の「なる」で終止する要
因なのかもしれません。もちろん名詞止があり、連体形止もあっていいのですが。つ
まり、「なる」と連体形で止めて余韻をもたせているのでしょうか。
参考:草取りに夢中になりて草中に伸びたる薯の蔓を切りたり
H子さん(新人)
アサガオの花数えては得意顔体ほどあるランドセルの子
書道展掲げられたし友の書に上野の森の樹々もバンザイ
自己中(じこちゅう)をたしなめるヒトいなくなり真似をせずとも無口になりぬ
1.「アサガオの花数えては得意顔」、アサガオを育てていて子供が毎朝その成長を
見守っていたのでしょう。今朝も花の数を数えまたひとつ開いたと得意顔をしている。
小学一年生とか年少の子供、これから学校へ行こうとランドセルを背負っている、そ
のランドセルは体が隠れるほどに大きい。そんな感じでしょうか。子供を優しく見守る
視線を感じます。
参考:アサガオの花数えては得意顔体ほどなるランドセルの子
2.友人が書道展を上野で催したのでしょうか。すばらしい書道展、上野の森の樹々
までもが万歳をして祝福をしているようです。友への深い思いが「上野の樹々もバン
ザイ」といった言葉が浮かんだのだと思います。一点、「掲げられたし友の書に」です
が、「掲げられたる友の書に」になると思います。「掲げられたし」ですと、「掲げられた
い」と希望の助動詞になると思います。
参考:書道展掲げられたる友の書に上野の森の樹々もバイザイ
3.これは、これでいいのではないでしょうか。作者のある面が出ているようにも思い
ました。ちょっと屈折的な表現というのでしょうか。わざとおどけた調子で表現してい
るのではないでしょうか。つまり、「自己中」(自己中心のこと)といったことば、「ヒト」と
いったカタカナの表記がそんな感じをさせます。亡きご主人への思いをこのような形
で歌にするのも良いと思います。「真似をせずとも無口になりぬ」という言葉に、亡き
ご主人のひととなりも浮かんできます。と同時に、亡きご主人へ語りかけているように
も感じます。感情語も例えもなくそのままの表現で思いを十分こめている、こういう歌
を歌いたいものです。
C子さん
午睡より覚めたる我は冷したるスイカをおいしくいただきました
口に出るぐちの一言チャックして静かに老後を愛されゆかむ
真夜醒めて腕の痛みに耐えられず医者の処方の薬のみたり
1. おもしろい、といえばおもしろいです。「午睡(ごすい)」というこばです。なん
で、「昼寝」にしなかったのだろうか。なにかねぼけたような感じで歌を作っ
た…、まだ眠気がさめていないような感じを出したいために、逆に「午睡」などと
いうことばを使った。自分を茶化しているような感じもあります。「果報は寝て待
て」といった含みもわたしは感じましたが、どうでしょうか。
2.これも、なんとなく底におもしろ味とともにあるさびしさといいますか、かなしみみ
たいなものも感じます。「ぐちの一言チャックして」といった表現の裏にそれを感じるの
です。そのことが、「静かに老後を愛されゆかむ」につながってゆくのです。
3. ちょっとしたことですが、「真夜醒めて腕の痛みに」となっていますと、まず目が醒
めてそれから腕が痛くなったように感じます。そこで参考のようにしてみました。この
歌は、真夜中に腕が痛くなり耐えられなかったということが重要でしょう。もし家人と
住んでいたのであれば、ちがった風に詠むように思いました。「息子を呼んだ」とか
「家人を呼んだ」あるいは「嫁を呼んだ」とか色々なケースが考えられますが…。医師
の薬を飲んだというのが、やはり一抹のさみしさを感じるわけです。夜中に飲む薬と
いうのは普通はないでしょう。毎食後とか朝とか昼とか朝と夜とかに薬を飲むのが普
通です。痛みに耐えられず、医師の薬にすがるしか方法がない、ほかに考えが浮か
ばないといったことだろうと思います。ここに作者のかなしみがあるのだろうと推察し
ます。
参考:真夜中に腕の痛みに目を醒まし医師の処方の薬のみたり
(つづく)